米軍が信じなかった日本による暗号解読
故郷の熊本県宇土市で百姓をしていた釜賀氏は、仲間の一人とともに昭和二十三年にGHQから召喚され、首を洗って上京し、GHQで暗号将校の尋問を受けました。
「お前達ジャップに我々の暗号が読めるはずがない」「読んでいました」「噓つけ」「では昭和二十年当時使用の暗号で文章を書いてください。読んでみせます」。侮辱され腹を立てた釜賀氏はそう答えました。
目の前に出された暗号文を二人は徹夜で解読し、翌朝届けました。米軍側は大いに驚き、知力に敬意を表したのか突然態度を変え紳士的となり、ランチに大きなビフテキをご馳走してくれたそうです。
見下していた相手が暗号を解読していたということになれば、
「おのれ、ジャップの分際で小賢しい真似をしおって!亡き者にしてくれるわ!」パターンもありそうなものだが
紳士的な態度に改めた米軍さん側もすごいと思う。
読書がなぜ大事なのか
これからの教養を構成するものは、情緒や形ばかりか知識も基本は実体験によって得られるものです。(中略)
ぶたれた時の痛さも、貧しくて充分に食べられない悲しさや苦しさも、仲間外れにされる辛さも、欺されたり裏切られた時の悔しさも、そんな目にあって初めて分かります。
いい機会だから書かせていただきます。
実家に居たころは貧しかったわけじゃないけど、お店もないような限界集落育ちでほぼ自給自足。
普段は米と野菜で生きていました。動物性食品は出汁に使う煮干しくらいのもん。
あと冬にはジャリジャリいうほど塩辛い鮭。
今でも肉、魚、卵はご馳走よ。ハムエッグ、ベーコンエッグとかは肉(それもお店に行かないと手に入らない加工品)と卵を一緒に食べられる贅沢品だと思っているw
一人暮らしを始めた頃は金もなければ時間もないで一日一食なんてざらだったから、今でも食い意地張っていますよ。
刺身のつま?付け合わせのパセリ?料理の敷物みたいになっているレタス?もちろん食べます。美味いと思います。
農家育ちで作物を育てる大変さもわかっています。
私のような経験をしている人は同年代でも少ないとは思います。
でも改めて考えてみたら、ひもじい思いをしたことが無かったとしても私の食い意地は張っていたんじゃないかと思います。
自分自身の体験によって、そういう目にあっている人に同情したり、他人をそういう目にあわせないよう心がけることができます。
残念ながらそうとばかりは…
なかには「自分が苦しんだんだからお前も苦しめ」だったり、自分の体験関係なしに他人の苦しむ姿を喜ぶ人もいるかと…
あ、これも教養の有無?
西洋の古典よりも日本の大衆文化を
外国のものをみると、イギリスの「ロンドン橋落ちた」フランスの「きらきら星」や「アビニョンの橋で」、ドイツの「かえるの合唱」、アメリカの「線路は続くよどこまでも」や「メリーさんの羊」と、明るいリズムの曲ばかりです。
日本では子守歌でさえも悲しいものばかりです。西洋のものは心を穏やかにさせるものが多いのに異様です。
悲しいお子様向けソングで私が思い浮かべるのは
カラスの赤ちゃんなぜ鳴くの
コーケコッコのおばさんの
赤い帽子が欲~しいよ
黄色いお靴も欲~しいよ
と、カァーカァー鳴くのよ~♪
です。
一番の歌詞しか記憶になくて二番や三番があるのかもわかりませんが、子どもながらその後が気になっていました。
もし二番があるとしたら
カラスの母さん言いました~
よーそはよそ うちはうち
赤い帽子が欲~しいよ
黄色いお靴が欲しいよ~
なら、よその子になりな~♪
と、叱られているのではないか?とか。
今なら「真っ黒なのもカラスの個性。多様化バンザイ」といった内容の歌詞になるんですかね?
この流れで思い出したことをいくつか。
お母さん
な~に
お母さんっていい匂い
洗濯していた匂いでしょ
玉子焼きの匂いでしょ♪
かなりうろ覚えながら、こんな歌もあった気がします。
今ならこの歌も「洗濯も料理も母親の仕事だって決めつけている!ジェンダーうんたら差別だー!」とか騒がれるとか?
そして「おかあさんといっしょ」。
何年か前に親子参加で収録されたものを見たことがある。
今までなら「じゃあ、お母さんと手をつなぎましょう」とかいうところが「おとなの人と手をつないで」となっていた。
これは一緒に参加しているのがお母さんに限らず、お父さん、お祖父さん、お婆さん…とそれぞれの事情に配慮してのことだろうか?
それとも面倒な団体(ごめんなさい)からのクレーム対策?とちょっと勘ぐっちゃいました。
番組表で「おとうさんといっしょ」というのも見かけたことがある気がするけど、それも「おとうさん」と決めつけているとも取れるよね?
「ほごしゃといっしょ」じゃ、なんか固いわねぇ…
それなら今は「父兄」もアウト?
「父兄」と言われている頃から主な担い手はお母さんだったよね?子どものころ運動会会場で見かけた「父兄席」の表示がずっと疑問だった。
お父さん、お兄さん以外の方が多いんだもの。
子どもの歌でもうひとつ。
これっくらいの お弁当箱に~♪について。
なかでも「筋が通ったフ~キ」は、ほとんどのお子様からしたら未知の食材だと思う。
私が子供のころにも既にずいぶんと渋いラインナップだとは思っていたが、どこかで今どきバージョンを耳にした。
記憶違いでなければ蕗は日本原産の野菜だったかと。
食育のためにもオリジナルバージョンも残って欲しい。
蕗のきんぴらは美味いよね~。
あ、葉っぱも美味いよね。数か月前に八百屋さんで蕗を買ったら「これ持っていきなさい」と蕗の葉っぱを大量に持たせてくれたことがある。
私は葉っぱの方が好きでした。今度行ったらそっちを売って欲しいほど。
教養の四本柱
アルバムが本棚にあれば、ふと懐かしくなって手に取ったりします。(中略)
一方パソコンにしまってある大量の写真は、ひょいと手を伸ばすといことになりません。機械の中の写真はアルバムの中のものに比べ、はるかに遠い存在となります。同様のことは活字本と電子本についても言えます。
著者さんのようにきちんとした説明ができるわけではないけど、私も紙の本が好きだ。
文具好きの流れからブックカバーやしおりを選ぶのが楽しいというのもあるし、紙の本に慣れているせいかもしれないが、目が楽な気もする。
変なところで心配性なこともあり、電子本、支払い、地図も…とあらゆるものをスマホに頼ると、いざという時に電池切れで本来の使用用途である連絡用として使えないのでないかとか。
地図も紙製が好きだ。見ているだけで楽しい。

私が本を読むときはこんな感じ。
書見台とかブックスタンドというものですか?10年前くらいまで知らなかったのが悔やまれるほど便利。
お行儀が悪いけど、読書しながら食事もできるだろう。
私はソースやらタレやら汁やらを飛ばしてしまいそうなので、お茶とお菓子が限界だけど。
こうして読んでいるものの他にトイレにも一冊。
読書メーター内の某コミュニティには書きましたが、お腹が弱いのでトイレに長居することもあるのです。
一冊ポンッと置いておくと、急に催しても読むことができる。
切羽詰まっている時に本を探して持ち込むのは現実的ではないし
電子本をトイレに置きっぱなしにしておくのは、充電の都合とかも含めて私向きではないかなと思う。
我が国ではここ二十年間で本屋の数が半減してしまいました。かつてはどの駅前にも本屋があり、いつも黒山の人だかりでした。一九七五年、私がアメリカから帰国した直後に来日した友人で、二十代の米人女性(私に惚れていた)は、この黒山を見て「最もエキサイティングな光景」と讃歎しました。その町における知の拠点だったのです。
(中略)
江戸末期、江戸に来たイギリス人たちは、普通の庶民が本を立ち読みしている姿を見て、「この国は植民地にはできない」と早々と諦めました。「自国を統治できない無能な民のために我々白人が統治してあげる」というのが植民地主義の論理でしたが、庶民が立ち読みする光景は本国にもないものだったからです。読書は国防ともなるのです。書店数の激減は我が国の将来にかかる暗雲と言えます。
確かに本屋さんは激減したと思います。
うちの最寄り駅付近でも、ぱっと思い出せただけでも3件の本屋さんが閉店しています。
そのうちの一軒は小さいお店だけど、今住んでいるところのすぐ向かい側で「これから贔屓にしよう」と喜んだのですが
一度も開いているところを見ないまま、いつの間にか看板が取り外されました。すでに閉店していたようです。
徒歩圏内には2件の本屋さんが残っているから、そこには頑張っていただきたい。
移動中の車内や待合室等でスマホを見ている人が多い中、紙の本を読んでいる人がいると賢く見えるのは気のせいでしょうか?
たとえそれが官能小説であろうとも…
それで思っていたことがあるのですが、官能小説というジャンルは日本のみですか?それとも世界的にあるものなのですか?
今は動画で大人向け無修正も見放題。でもそれをあえて活字でというのは、教養がある人のたしなみと考えられたり…とかしませんかね?